日本百名山
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ブロッケン現象に迎えられた富士山
富士山は高さだけで無く、その美しい山容からも日本を象徴する山として誰からも愛されている。山をやっている人でも是非一度は登らないと、と挑戦する人が多い。しかしだからと言って山屋にとって面白い山かというとそうでも無い。それは山そのものに変化に乏しくただただ溶岩の砂礫道を登る、それも登山者が目茶苦茶に多く、登山道はゴミの山。ということで絶対富士山だけには登らないという人も多い。そんな富士山だが、最初に昇ったのは大学1年生の時、下宿の仲間と一緒に登った。未だ本格的に山に登り出す前で、3000米超の山に登るにはどんな装備がいるかなんて全く知らなかった頃である。上りは富士宮道を使っての夜行登山、頂上でご来光を眺めて御殿場道を下るというものであった。
登山口の新五合目迄はバスを使ったが、乗車時は大雨。止めようかとの意見も出たが、兎に角五合目まで行って判断しようとバスに乗り込んだ。ところがバスが雲海の上に出ると窓から眩ゆいばかりの夕陽が射し込んできた。これは儲けものと懐中電灯を頼りに出発。当時の懐中電灯は今程光度は無かったと思うが、麓から頂上向かって光がジグザグ光の線となって続いていた。登山ブーム前夜の当時でも沢山の人が登っていたということだ。
未明に頂上着。ご来光迄に時間があるので建物の陰で時間稼ぎするがとても寒くて震え上がる。それもそのはず、気温は零下に下がっている。しかし服装はというと、高山では夏でも防寒着が要るなんて露知らず、半袖の下着に綿の長袖のシャツ1枚のみ。寒さに耐えられず、駆け足足踏みして凌いだ。そして迎えたご来光。前日の雨で空気中のチリが全て地上に落ちたのであろう、茜色の空に房総半島越しに太陽がぐっぐっと昇った。天気がいいので東京、伊豆七島、太平洋が眼前に広がる。思わずその神々しさに万歳と両手を挙げた。今日まで何回と無くご来光を拝してきたが、未だにこの時に勝るのは見たことが無い。
そしてお鉢を北方に巡ると、富士五湖が点々と浮かぶ富士の樹海に富士山の影がくっきり。何しろその頃は八ヶ岳、南ア、中ア、北ア等の山々の同定が出来るだけの知識が無かったが、北に広がる山々の広がり、特にそんなに知識が無くても見ただけでそれと分る槍ヶ岳の特徴な尖りを目にしてとても感動した。感激に浸っていると更に北にキラキラ光るものがあるのに気付いた。「あれ何」って声を上げると、隣にいたベテラン登山家から「日本海だよ」との答え。その後剣岳頂上からも富士が見えたので、この山から日本海が見えてもおかしく無いのだが、何しろその時は初めての経験、ブったまげたものだ。
兎に角寒いので動くが勝ちと、一旦お釜の中腹に降りて噴火口を覗いてからまた登り返し、御殿場道を下った。そこにあったのは砂走り。一気にスキーの直滑降よろしく走り降りる。ただ全員履いていたの普通の運動靴。靴の中に砂が入る。そのため止まっては砂を払い出し、また下るの繰り返し。とても往生した。それでも登山道を下るよりはるかに速く、快適に登山口まで降りれた。
今から思うと山を知らなかったとはいえ、とても無謀な登山であった。大雨でも降ってきたらと思うとゾっとする。富士山は過去2度、自然遺産として世界遺産を申請した。しかしキャパシティを超える登山者の故に自然が破壊され過ぎているとか、登山者の出すゴミがひど過ぎるとかいうことで選定から漏れている。このため今度は信仰の山ということで文化遺産として再チャレンジするという話が出ている。そんな富士山ではあるが、私にとってはこの時のご来光の崇高さや、頂上からの山々の並びがまた山に登りたいという気を起こさせたのは事実。これがその後の山行に繋がり、人生の支えになった山と言っても過言では無い。正に忘れじの山と言える。
その富士山に我々の山仲間が過去3年連続挑戦したが、3回共当日になると天気が優れず果たせないでいた。その内の1回は8合目の小屋まで行っておきながら翌朝起きたら大雨で泣く泣く下山してきたという。仲間の新年会で今年もリベンジするという。それでは二百名山も終わったことだから是非ご一緒しようということになった。仲間の1人の現役時代の保養施設が山中湖にあるので、そこを基地として登り、下山後の祝勝会もそこでやろうということが決まった。その席で登山口は山中湖に近い富士吉田道を、山小屋はすし詰めで眠れなかったので小屋泊無しという要望も出ていた、その後検討の結果、吉田道は混んでいて変化が無いので砂走りのある須走道から登り、夜行は大変なので早朝発日帰り登山とした。
8/1 富士山(3776m、甲府・静岡)
今年の夏は太平洋高気圧の張り方が弱く天気が読めないが、日程として最も安定しているはずの7月末を選んだ。ということで30日に関西から2人、東京から2人が出発。例年ならこの時期には消滅しているはずの全線が朝鮮半島に居座って甚大な被害を出したが、丁度この日にその全線が南下してきて新潟・福島に甚大な被害を与えている。関西を出て東名を走っている間も夏の暑さが続いていたが、車中のTVでは豪雨被害の様子が時々刻々と映し出されている。さて富士山辺りはどうだろうと気を揉みながら走る。御殿場ICを出て、一般道に入るや降り出し、山中湖に着く頃は前も見えない程の勢い。明日の登山は無理と判断しながら宿に入る。同時に到着した東京組も「また駄目だ」と諦めムード。
宿に入るなり、何とかならないものかとTVの天気予報に食らいつく。すると予報は31日・1日が曇り時々雨。2日は曇り時々晴という、これは下界でのこと。快方に向かうのなら雲の上では2日は晴れるかもと一抹の期待が持てた。ならば31・1日は停滞して1日からの夜行登山を提案。東京からの1人が2日午後に用があるというが、下山後眠らないで運転して帰るということで決定。元々は31日未明スタートなのと高山病対策があって酒はほんの乾杯程度で早寝するという予定だったが、登らないと決まって酒盛りが始まる。
翌31日、早朝に起き出だして宿のPCと睨めっこ。富士周辺の天気予報を追っかける。すると1日午前の天気予報が富士五湖辺りで曇り時々雨から曇り時々晴れに、逆に2日が曇り時々晴れから曇り時々雨に変った。天気が前倒ししている。これなら1日の日帰り登山の方がいい。調べている内に、泊地の山中湖から一旦富士の町にでないといけないと思っていた富士宮道登山口が山麓沿いの周回林道から行けるということも分った。富士には4つの登山道があるが、富士宮道が歩行距離が最も少なく、それよりも何よりも登山道山頂から富士山頂・剣ヶ峰までの距離が最も短い。ただ山裾に隠れてご来光が見えないのが難点。それに他の登山道ならば剣ヶ峰に行くのに1周約1.5時間のお鉢巡りを強いられるのが省略出来る。そこで1日早朝発の富士宮道日帰りに決めた。この日はうだうだと何もしないで過ごし、酒も控えて早く就寝。
そして迎えた1日。早朝2:30に起き出して、ガスで煙る林道を飛ばして、富士宮道・新五合目登山口へ。着くと天気に関する勘ピュータはバッチリで、空には満天の星、下界には町の灯が輝いている。真っ暗な中ヘッドランプを頼りに3:50登山開始。やがて夜も白み、七合目の小屋が見えてくる辺りまで登ると、小屋に泊まっていたのであろう大勢の人が山裾を東方に向かって歩いている。
あれは多分宿泊者がご来光を見るために移動しているのであろうとピンと来た。もしかしたら見えないはずのご来光が見えるかも知れないと、小屋に着くなりリュックを置いて、空身で追っかけた。着くと丁度茜色の雲海の上に太陽が出たところ。雲海が厚いので、強烈な眩しさの中に雲の朱色が際立っていて神々しいものを感じた。
| ご来光と雲海 | 茜色のご来光 |
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ご来光を堪能して小屋まで戻ってくると、影富士が見える。高度が低いので、長く尾を引く山裾の一部しか見えない。今まで見た影富士はもっと高度の高い所から見たので、富士山全体の影が写っていたが、山裾の一部というのもオツなものと思いながら見ていると。影富士の横が少し色が違う。良く見ると虹色のリングが輝いている。体を右に振るとリングも右に動く。何とそれはブロッケン現象ではないか。ただ今まで何回か見たそれはもっと近いところで見えたので、リングの真ん中に自分の姿の影がくっきり写っていたのだが、今回はそれが無くリングのみ。このブロッケン現象は西洋ではブロッケンの妖怪といって忌み嫌われているが、日本では後光を背負った仏像(阿弥陀如来)の来迎だといって大変喜ばれた。新田次郎の「槍ヶ岳開山」では、播隆上人が笠ヶ岳でこれを見て悟りを開き、それを契機に槍ヶ岳開山を決意したとあったが、正にそのように扱われてきた。ベテラン登山家が一生に1回でも見れれば良いとされている程珍しいもので、それが富士山で見ることが出来たなんてとても感激。
| 影富士 | ブロッケン現象 |
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八合目まで登ると、鳥居を潜る。というのはそれより上は浅間大社の境内。富士山は静岡・山梨の県境の山であるが、ここから上は神社の境内。このため具体的な県境線が引かれていないという。それで両県の面積にはすっぽり富士山の八合目以上の面積が抜けている。近年地方自治体はどこでも財政事情が厳しく、国からの交付金に頼るところ大である。この交付金の額は県の面積に比例する部分もあるということで、ちょっとでも交付金を増やしたい両県は最近仮の県境線を引いて、その分の面積も加えて申請しているという。
| ここから神域 |
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八合目を越えた辺りから仲間の1人が遅れ始める。遅れるといっても少し時間がかかり過ぎるなあといった按配。しかしこれが雪渓の残っている九合目を越えるとスピードが極端に遅くなるばかりか、よろよろふらつき始める。彼はフルマラソンの常連だが、山は殆ど登ったことが無い。水平方向のマラソンと垂直方向の登山では身体や呼吸の使い方が違うからか。あるいは高山病か。友人の医師から高山病の予防薬を貰ってきており、朝服んだのだが。この高山病については私も過去の富士登山では出たことは無いが、ヒマラヤトレッキングの折りに富士山より低いナムチェバザールで出た。このため用心のために私も服んだが、私は出ない。いずれにせよ危険なので彼には九合五勺の小屋でストップして貰い、残る3人で挑戦。
| 雪渓 | 英語だけで無く中文・ハングルもある注意標識 |
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今迄以上の急登を登り切ると富士宮道頂上の浅間大社奥宮。休憩も取らず進むと、標高差240米・約50度の急な傾斜のお釜(噴火口)がぽっかり。噴煙こそ出ていないが、噴火時の様子が伺える程の不気味さ。落っこちたら絶対上ってこれない。お釜の丁度反対側には吉田道・須走道の頂上近くのピーク・白山岳(3756米)が見える。今日のペースだと、もし須走道を登っていとしたら白山岳がせいぜいだっただろう。とすると日本最高峰に登ったことにならないので、富士宮道に急遽変更したのは大正解であった。
| 賑わう頂上奥宮 | 頂上お釜 |
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すぐ目の前には尖ったピークがあり、馬の背という急勾配を登り切ると、そこが日本最高点・標高3776米の剣ヶ峰頂上。10;50着.標識の前で恒例の万歳。すぐ横には今や無人の館と化した無機質な測候所の建物とレーダドームが。早く取り壊せばいいのにと腹立たしくもなる。展望台もあるが、見えるのは雲海ばかり。本来見えるはずの富士の樹海の中の精進湖、本栖湖も雲の下。すぐ下山にかかる。
| 3776m・剣ヶ峰頂上 |
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九合五勺の小屋で、そこで待っていた友人と合流。新七合目より下暫くは上り時には気が付かなかったが、オンダテの白い花が咲き誇っている。それにしても火山礫ばかりが続き、高山植物が全く無いと思っていた富士山上部にも花が咲いていたということには興が持てたが、高山植物の可憐さは全く無い花なのが富士山らしい。八合目辺りからガスが出始めるが、見通しはいい。砂走りは無いものの、上りに比べて下りは随分楽。15:20新五合目駐車場着。
| オンダテの花 | 麓から頂上を臨む |
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元々富士山は「2度登る馬鹿」とか「見る山で、登る山では無い」とか色々言われている通り、ただ高いというだけの山である。そんな富士山だが大水害直後ということと平日ということもあってか、今迄に無く空いており、大きな渋滞も無く登れた。それに一頃よりも塵が減っており、おまけに各小屋には有料のバイオトイレが設置されていた。確実に富士山は綺麗になっていると感じた。さて2度目の世界遺産挑戦どうなることか。それよりも何よりも私にとって今回の富士山は、曲がりなりにもブロッケン現象が見れたということが最大の収穫であった。